突然ですが両目を1秒間閉じてみてください。


ところで、数学でこんな問題を見たことないですか?

縦の長さが10cm、横の長さが15 cmの長方形ABCDがある。点Pが点Bを出発して、辺BC、CD上を通り、点Dまで毎秒1 cmで移動する。x秒後に線分APが通り過ぎたあとに点B側にできる図形の面積をy cm²とする。
このとき、xとyの関係式とグラフを求めなさい。

良くある、動く点P問題ですね。まぁ問題自体はどうでもいいんですけど、現在の状態と条件が定義されると、点Pの未来が予測できるというのがポイントです。
つい解き始めた人いたらごめんなさいw

物理学も同様に、数学以上に、現実世界の未来予測を計算から導くことができます。
明日の天気はどうなるのか?地震がチリで発生したら何分後に津波がやってくるのか?次に日食が見えるのは何年後か?とかとか。
もっとミクロな世界で見れば、「薬品AとBを何グラム混ぜたら何分後に爆発する」とか計算できちゃうわけです。物理学は究極的に、「全ての状態と法則がわかれば、未来は完全に予測できる」を目指してます。

人の運動も一緒で、外からの視覚情報などが入ってきて、脳で考えて、その結果を脳が出力すると、電気信号を受けて体が動く。
この視覚情報がインプットされてから出力までの間に、考えるというプロセスがあるはずだが、考えて出す決断はその場で自分が自由に決めたものなのか、それともこれまでの人生経験や現在のコンディションから既に決められたものなのか、つまりそこに自由な意志はないということなのか。

気になりますよね?

これが本題です。


先ほどの、人間の例で言うと、

外部刺激→人間の脳(意志?)→行動

と言う流れですが、もちろん同じ外部刺激を与えても、それを処理する脳が(つまり人が)違えば結果として起こすアクションも違います。
例えば、「Aさんを急に驚かせるという外部刺激を与えた結果、恐怖で硬直する」という結果が得られたが、「Bさんを急に驚かせるという外部刺激を与えた結果、叫び声をあげる」という違う結果が起こるという事。
これって極論、自販機に100円入れたらジュースが出てきたけど、両替機に100円入れたら10円玉が出てくるのと同じじゃないですかね?自販機も、両替機も、100円という外部刺激に対してどうするか決まった処理をしているだけで、そこに機械の意志はないという事。
つまり人間の起こす行動って、機械と同じで意志で決めていないんじゃないかという事です。


実はこれについて過去にアメリカで、ベンジャミンという学者によって実験が行われていて、とても興味深い結果になっています。

実験内容としては、被験者にボタンを用意し、「押したいと思ったタイミングで好きにボタンを押してもらう」というもの。勿論押すのを我慢してもいいし、自由です。その際に被験者の脳を調べています。
結果は、被験者がボタンを押そうと思った(意志が発生)よりも0.1秒早く脳がボタンを押す信号の準備を始めたのです。(意志発生からボタンを押すまでは0.2秒)
つまり脳が先にボタンを押すという決断をし、それをあたかも被験者が考え自由意志によって決断したかのように、遅れて認識するという結果でした。自由意志に決定されるのではなく、決定されたから意志が発生するのです。意志はあるけど行動を決定する自由意志ではないということ。

人の脳は複雑ですが、分解すれば細かな単純なものの集合体です。だから何らかの物理法則に従って機能するんでしょうか。自分がこの記事を今書いているのも、自由に決めているのではなく今までの環境や経験がそうさせているだけなんでしょうか。
だとしたら意識って別に人間が思ってるほど特別なものではなく、生物として牙があるとか、羽が生えてるとか、暗闇でも動き回れるとか、そんな能力の一つに過ぎないのかもしれないですね。
「意志が弱いから行動できない」とか言ってる人は、意志ではなく、これまでの人生経験が行動するという判断をする脳を作れなかっただけなのかも。

冒頭の「両目を1秒間閉じてみてください。」というのも、実際に閉じてくれた人、閉じなかった人いると思いますが、これも自分の意志で選んで決めたようで、実は脳が勝手にどうするか決定してたんでしょうね。

だからと言って悲観的な訳でもなく、こんな生きる上でどうでもいい事に興味がわくような、変な感覚を持った生物に生まれて良かったなぁと思います。